探究人間のいろいろ。

人文学 哲学 言語学 教育学 

我々は寂しさに耐えられない。

こんにちは。

 

先日、若手のウィトゲンシュタイン研究者で有名な古田徹也氏の『このゲームにはゴールがない』を読んだ。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

著者の娘(3歳半)が、実の父である著者に対して本音を隠した。その瞬間、著者にとって娘は不透明な存在になった。というフックで始まるウィトゲンシュタインとスタンリー・カヴェルの哲学を基にしたいわゆる懐疑論についての再検討や他者理解とは何かという命題に関する哲学書だ。

 

個人的に第2章の懐疑論者に対する反駁や第3章の懐疑論が引き起こす悲劇についてカベルの論を引きながら論じる部分と後半のウィトゲンシュタイン言語ゲームを軸に他者とのコミュニケーション(やり取り)について議論される部分が興味深かった。

 

文章自体は身近な例示が多く読み手にやさしい書き方だが、内容は難解で特に後期ウィトゲンシュタイン哲学探究に関する内容を知らないと読んでも正直よくわからないと思われる。特に「痛みを知っている」とはどういうことかやウィトゲンシュタイン独特のタームなど。(後期ウィトゲンシュタインの内容を読んでいても難しいのだが。。。)

 

本書の内容を一部まとめると、生命を維持する物質的な環境が整っていても、自分以外の他者がいない世界では生きることができない。ただ、その他者というのは不確定な要素を持ち完全に理解できる存在ではないのだが理解しようとするその実践こそが我々が他者と生きることである。という感じだろうか。

 

私は教育関係のことに興味があるから、そこに話を引き寄せるならば文部科学省の新学習指導要領『外国語』の中にも「はなすこと(やり取り)」という項目もある。また、必要な資質として「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう人間性等」という文言もある。これに対して、文部科学省自身が指導要領解説「かくかくとはしかじかのことをさす」といったような細かい文章での言及はそれ自体がナンセンスな感じがするし、実際のところそんなに理詰めできる内容ではないのだと思う。それに加えてこの内容もおそらく10年という賞味期限付きで叫ばれ、ある程度するとなかったことなり、また新たな学習指導要領について遵守し遂行せよと教育機関に通達がくるのだろう。

 

そこまでしなくても、実生活(他者とかかわるありとあらゆる場面)において他者理解の営みは行われるように思うしそれが完結することはない。学校という場所がアクチュアルに対面でそして守られた環境で他人との関係形成を行う実践練習の場面として用意されることが重要な気がするのだが。。。

 

最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。