こんにちは。
大衆社会論の嚆矢とされる、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』を読み終えた。哲学におけるポスト構造主義および現代思想の流れは結果的に2023年に読んでも、普遍性がある内容で大変興味深い。
オルテガ・イ・ガセットは1883年生1955年没のスペインの「生・理性」の哲学者である。彼の父親はジャーナリスト兼作家であった。フッサールの現象学についてドイツ外に知らしめた最初の一人でもあるようだ。
そんなオルテガの主戦場は高等師範学校での教育活動と新聞への論文の寄稿であった。
この『大衆の反逆』は、1930年代、ヨーロッパ大衆が社会的権力持ち始めたことの危険性について鋭い考察がなされている。大まかにいうと、現代において個人という外郭が不特定多数の大衆内に消えたことにより、理性的な自浄作用を失った。また、人々は過去という歴史を一切放棄することにより、限られた枠の中で不満や不安を募らせ、心地よい苦しみの中に生き始めていると分析されている。
本著の中ではオルテガ独自の貴族論に関しても言及がなされている。オルテガのいう、貴族は世襲制の貴族形態のことではなく、高潔な人としてあり方としての完成を指しており、その賞味期限も30年であるというユニークな考察が述べられているという部分が、個人的に興味深い部分だ。
オルテガの思想自体はミッシェル・フーコーやエードリッヒ・フロム、ハンナ・アーレントなどの現代哲学者たちに関連する部分があるし、消費者の行動心理学という面においても連関のある内容に思える。
実際現代の社会において、私たちは、「みんな」で作り上げた平均、ランキング、偏差値、トレンドといった価値判断基準に寄りかかりながら生きている。「わたし」は「みんな」の中に含まれているような、いないような。まぁ、でも、ちょっとは含まれていたいと思う。
「みんな」で作り上げた価値判断の基準「みんな」に吸収されていく「わたし」がそこにある。この現象は非常に心地よいしそれをお互いに望んでいる。ちょっと、違和感があってもそのうち忘却されてしまう。しかし、一歩立ち止まって「わたし」が私の人生を「生きる」ということについて周囲の環境とは一切切り離し、直接的に考えてみたい。
笑顔がまぶしい、白いハットをかぶったオルテガおじさんが皆さんの背中を少し押してくれるかも???
そんな一冊だ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。