探究人間のいろいろ。

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仕事観、仕事感について

こんにちは。

 

社会人として働いている人々の中にある「仕事」に対する認識は一体どんなものなのだろうか。

 

人に貸していたハンナ・アーレントの『人間の条件』が帰ってきたから読み直していて、ふとそんな大きな問いを考え続けている。

 

 

ハンナ・アーレントはドイツの哲学者である。ナチスドイツの迫害から逃れるためにアメリカに亡命しつつ、現代社会の人間性や社会性を徹底的に分析した人物だ。その中でもこの著作『人間の条件』では、人間および現代人の生き方を「活動的生活」と表現する。その活動は「労働(labor)」、「仕事(work)」、「行為(action)」の3つとし、彼女は分析をおこなう。

かなりざっくりと言ってしまうと、まず、「労働」とは生命維持のために繰り返される過程および活動のことを指す。次に「仕事」とは人間が自然の摂理から離れ人工的に生み出された活動のことを指す。最後に「行為」とは二人以上の人間から成る活動のことを指す。

詳しい内容は本書および優れたYouTubeの解説動画を参照されたい。

 

前置きが長くなってしまったがここからが本題だ。

 

もしも、アーレントが考察する「仕事」を基にした場合、私が「仕事」と称しておこなっている活動は「仕事」なのだろうか、それとも「労働」なのだろうか。さらに、ここには「時間」という概念も入ってくると思われる。

 

集団として活動している中で一人ひとりの「仕事」に対する意識や定義づけは曖昧になる。形骸化された方法のみが独立し、個人と集団、個人と社会の中に意識的および時間的な分断をもたらす。多くの人々が集団の維持が困難になった環境に置かれているのが今この瞬間なのかもしれない。

 

その中で、ある個人は他の個人とどのように絡まり、何を生み出そうとしているのか。どのように互いの生命を維持しようとしているのか。

 

疑問は深まるばかり。ひとまず、今の環境で人々をよく観察していく。