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エクリチュールに惹かれて

お久しぶりです。

こんにちは。

 

書きたいことは山ほどあるが何から書けばいいかわからない。とりあえず、ここ数か月ひたすらにポスト構造主義(フランス現代思想)のパロールエクリチュールに興味を持ちいろいろと調べていたということを書く。パロールとは大まかに言えば、「話し言葉、話される言葉」を意味する。エクリチュールとは「書き言葉、書かれる言葉」を意味する。

 

ポスト構造主義以前の一般的な考え方として、パロールが哲学分野においては優れているとされていた。なぜならば、パロールは話し手と聞き手が直接的に会話場面を共有しているため、聞き手の齟齬を話し手がすぐさま修正することができるからである。

 

しかし、その風潮に風穴を開けたのがジャック・デリダロラン・バルトといった哲学者たちだ。彼らはエクリチュールこそ自由な言葉でありテクスト上において言葉が書き手を離れ、複合的な意味を含意し動き回れるとした。

 

正直、フランスの現代思想は難解すぎて私もあまり理解ができない。ただ、エクリチュールと教育の連関について大いに興味がある。なぜならば、教育現場において子どもや大人が持つテキスト対する不寛容度は異様に高いからだ。おそらく理由としては、形式な言語教育が初等教育(幼稚園、小学校)あたりから強制される一方で、本人の言語能力(語彙力や表現力)は未熟なままであるからなのではないかと考えている。

 

そこで、手に取ったのがロラン・バルトの「物語の構造分析」だ。ここではいわゆる記号論的な概念を用いて彼の思想が容赦なく書かれている。彼は、科学としては認められないが小説作品をどのように分析的に読むのか、文学作品内における暗黙の場面と記される言葉の関係、作者と読者の関係などなど幅広く書かれている。

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いつか、誰かとロラン・バルトについて話ができたらいいなと思う。

では、また。