探究人間のいろいろ。

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負荷を受容し調和するための心理構造に向けて

こんにちは。

 

最近、またハードな毎日を過ごしている。

 

昨今、ワークライフバランスや主体性、多様性、というキーワードが取り上げられ、教育の場面に限らず、善き人生を生きること、たくましい人間を創りあげることが重視されているのは言うまでもない。(霞が関の書類上のお約束なのかもしれないが、、、)

 

ちなみに、教育現場および教育学上における主体性の捉え方は浸透されていないと思われる。学習指導要領の中にある「主体性」という観点に関して漠然とした議論がふわっとなされている。この「主体性」観点の中には①粘り強い取り組みと②自己調整能力の2点が具体的な項目として取り上げられている。しかし、実際はその観点にABCが付くこと自体タブーであるような気もする。評価者がそんなに優れた人間なのか?と思うこともある。

詳しくは文部科学省のホームページを参照されたい。

 

前置きが長くなったが、今日の本題は「人間としての強さおよび安定性」に関してどのような心理構造、社会構造が必要なのかということを書きたい。

 

まず、「人間としての強さおよび安定性」に関して私の定義を述べる。

私は、「人間としての強さおよび安定性」をあらゆる物質的、心理的負荷を受容し調和や糧として乗り越えられる力であると定義する。

 

では、「人間としての強さおよび安定性」にはどのような構造必要なのか。

結論から述べると4つの観点を基にした正方形の形成であると考える。4つの観点とはすなわち、①心②体③時間④経済のことである。

正方形の下段を支える2つの頂点が①心と②体である。これは生きるための基盤となりうる。

次に正方形の上段にある2つの頂点が③時間と④経済である。これはハードな材となりうるものである。

この4つを頂点とした四角形がバランスよく配置され、満たされた状態になると、上からのしかかる負荷を吸収することができるのではないかと考察する。

 

また、この概念の応用としてさらに奥行の4点に⑤愛情⑥休養⑦学力⑧経験が裏打ちされてくると思われる。これはまた更に複雑な体系になると思うから、今は思索だけ述べておくことにする。

 

どのようにして私たちは強く生きていくのか、強い人間になっていくのか、について真剣に考えるシーンがもっとあっても良いのかもしれない。