こんにちは。
最近、仕事の関係もあり、再び発達障碍について文献を読んでいる。
発達障碍の中にも知的な発達の遅れを伴う知的障碍と知的な発達の遅れはないが情動性や心因性の問題がある情緒障害の2つに大きく分けられる。
本を読まずとも検索すればこの手の話はいくらでも読むことができるため、発達障碍に関する概略的な話は割愛する。
さて、では実際に生きていくうえで発達的な困難を持っている子どもたちに対して、ドクター以外の大人は何ができるのだろうか。
私の考えは、①あらゆる観察すること、②理論を学ぶこと、③理論のフィルターを通して当事者を観察すること、④具体的な支援策(○○の場合○○する)を増やしていくことの4つが重要だと考える。
①あらゆる観察をすることとは、当事者の身体の操作性や言葉づかい、表情、家族関係、癖、思考パターンといった客観的に目に見えるものから抽象的で捉えにくいものまでとにかくまっさらな状態で観察してみることである。この時点では当事者をASDやADHDかもしれないといったラベリングをする必要はない。(というかするべきではない。)
②理論を学ぶということとは、発達障碍に関する一般論や体系的知識を学ぶことと脳神経学的観点からの仮説を知っておくということである。これは単純に理論的な部分をインプットする過程だ。
③理論のフィルターを通して当事者を観察することとは、いわば②で得た知識を基にして当事者の言動に対して、次にどのような動きをするか予見しながら観察していくということである。もちろん、理論どおりではない動きをする場合もあるがたいていの場合は先行研究で報告例がある場合が多いように思う。
④具体的な支援策(○○の場合○○する)を増やしていくこととは、当事者が生きづらさを抱えている場面に対し大人側が働きかける部分と当事者が自らで克服することを互いにある特定の場面ごとで確認していくということである。
以上に挙げた4つのステップはあたり前のように思われるかもしれない。しかし、実際には理論に偏りすぎてしまったり、自分の経験や情で当事者に接することでトラブルが発生することがある。
必要以上に理論を重視しすぎて決めつけで当事者に接する必要はない。また、当事者に感情移入しすぎてヒステリックな支援をする必要もない。
焦る必要はない。冷静に。子どもには可塑性がある。
大人が粘ればいいだけだ。
最後に以下の本が分かりやすい。興味がある方はぜひ。(現在、探究人間も読んでおります。)
では、また。ごきげんよう。