こんにちは。
数日前にジャックランシエールの『無知な教師-知性の解放についてー」を読み終えた。18世紀に実在した、フランス語教師のジャコフの教育方法についてジャックランシエールがナレーションをするように語るスタイルで書かれている。
このタイトルにある「無知な」という形容詞は決してネガティブな意味で書かれているわけではない。いわゆる、教えると教えられるという構図は知識を重視しすぎた教師側のエゴでしかなく、その存在自体が学生の無限の可能性を奪うということがジャコフの指導の具体例と共に本著の中に書かれている。
実際、対人の場面や学校教育の場面ではどうだろうか。
所属が割り振られ、教科が分けられ、学科が分けられ、知識が体系化されている。いわゆる線引きが至るところでなされている。
一方で、今まで学習した知識を結びつけて教科横断的な学びの促進や対人関係のハウツー本が売られている。
実際の生活においてすべてはグラデーションだ。つまり、だれかによってパッケージ化された知識の輪郭を破壊しなければならない。私たちは凝り固まった外郭をほぐし、知識の境界線を曖昧にする感覚の涵養を目指さざるを得ないだろう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。