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文法と社会生活について

 こんにちは。

 

 最近、私は言語における文法の概念を人間の社会生活の実相と重ね合わせて公教育を考えています。

 

 「文法」とは大まかに言えば言語を使う時のルール、約束ごと、決まりごとといった意味です。わかりやすい例で言えば、みなさんが英語を学習した時に現在形だとか受け身だとかってやつです。

 

 英文法を例にとって話を進めると、これがかなり厄介で、全ての文法項目が同じ頻度に実際に使用されるわけではない上に時々理論化できない文法規則もあります。学校で習う文法と実生活の場面で使用される英文法が異なることもあります。

 

 この文法という言葉を私たちが生きる社会における「道徳的規範(モラル)」と置き換えてみるとどうでしょうか。

 

 私が真っ先に思い浮かぶのはダブルスタンダードが蔓延しているということです。例えば、ポイ捨てをしてはいけないということを頭では分かっていても、他の人がそれ以前にポイ捨てをした形跡があれば自分もポイ捨てをしてしまうといったようなことがあります。

 

 学校という場面においては、常に規範に従う人が高く評価される傾向があります。もちろん、これはこれで重要なことではあります。しかし、実社会はそれほどクリーンではありませんし本当に全ての規範を遵守しようすることは不可能に近いです。私たちはその都度、判断を下します。

 

 従って、公教育においてはグレーな場面への積極的な接触が児童生徒に求められるように思うのです。言い換えれば指導者は社会の醜い部分も開示していって良いのではないかと思うのです。学校という場を聖域化すればするほど、子どもたちは生きづらくなるのではないかと思うのです。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございます。