探究人間のいろいろ。

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いつでもなんでも分かりやすく伝えるべきか?

こんにちは。

 

今、ミシェル・フーコーの「狂気の歴史」を読んでいます。

 

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彼の処女作であり、博士号を取得した論文でもあります。

 

内容は非常に難しく、『狂気』に対する人々の捉え方の変遷が宗教学や精神医学、演劇といった観点から緻密に分析されています。宗教学や医療の専門用語がいきなり出てくるし、日本語訳の漢字も読みにくいものが多いです。いろいろ調べながらゆっくり読んでおります。

 

よく「監獄の歴史」のほうがYouTubeなどでピックアップされており、要約動画や解説動画がでていますが、「狂気の歴史」に関する要約や解説動画はなぜだかあまりヒットしません。

 

ここからは、本の内容から外れます。

さて、最近では『わかりやすさ』について人々の求める水準が上がっているように感じます。全ての事を全ての人にいつもわかりやすく伝えるべきなのでしょうか?

 

結論は「時と場合による」 これしか言えないと思います。

 

私が人に伝えるときに心がけているのは、伝える相手や伝える場面をよく観察することです。伝える相手はどんな人物(子ども、お年寄り、異性などなど)なのか、伝える場面はどこか(職場、学校、旅先などなど)を事前に確認しておいたり、その場で瞬時に見極める能力が実は重要なのではないかなと思います。また、相手が何を求めているのか(ただ間をつなぐための会話、内容をざっくりと知りたい、詳しく知りたいなど)を察知することもセットで大切かと思われます。

 

自分もまだまだ、修行中です。

最後まで読んでくださり、どうもありがとうございます。