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知識の服飾的側面に関する一考

こんにちは。

 

 今日は、知識が持つ服飾的な側面について私の考察を簡潔に述べたい。なお、「知識とは何か」という命題についてはこの記事の射程外とする。古代ギリシア哲学のプラトンから論じられていたり、学問分野によって異なった知識の分類がなされていたりするからである。

 

 「知識」が持つ機能は私たちが「服を着る」営みと重なる部分があるように思う。これはいったいどういうことか。

 

 「知識」自体は「○○的知識」や「○○について知っている」というように体系的に分類され、名付けられることがある。例えば一般教養というのは幅広い知識と換言することができるだろうし、○○大学医学部では医学について学ぶということになるだろう。私たちは日常生活の中で、毎日、膨大な知識を受信し発信している。資格試験や受験勉強のための知識だとか友人や同僚と会話をする場面は想像しやすいだろう。

 「服を着る」という営みはいわば、社会的および環境的場面に合致するために行うことといえる。例えば、就職活動をするからスーツを着るということは社会的場面に合致するための行動であるし、寒いからダウンジャケットを着るということは環境的場面に合致するための行動であると考えられる。大好きなあの人に会うからオシャレをしようというのは、社会的場面および環境的場面の両方に合致するものと言えるだろう。

 

 以上の点を踏まえると、「知識を身につける」という言葉が少し立体的に理解できるのではないだろうか。つまり、目の前の相手や状況に合わせて既存の知識を組み合わせたり、重ね合わせたりして私たちは互いに交流しあっている。その知識にはファッションと同様に流行があったり、身に着けやすさがあったり、奇抜さがあるだろう。知識のクローゼットは私たちの頭の中や感覚の中にあり、一日に何度も着替えをしているといえるのではないか。このように考えると、知識を身に着けるという営みは尊い

 

 さて、今からどんなオシャレをしようか。

 

最後まで、読んでいただきありがとうございました。