探究人間のいろいろ。

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教職におけるビルドゥングとしての医学

こんにちは。

 

 とある知り合いの方からご依頼があり、来月に学会で発表する機会を頂いた。完全にゼロの状態からテーマを決めなければならない。要旨提出とプレゼン資料作成のためにここ数日いろいろ調べている。

 

 今、一応テーマを「スローラーナー」に絞り、さらに具体的なRQ明確にし、先行研究を調べている。ちなみに、「スローラーナー」という言葉の定義は曖昧なようで先行研究の引用元でも解釈はいくらかあるようだ。スローラーナーとファストラーナーが混在する英語授業での課題について書かれているBilal and Mahmoud(2020)の論文のLiterature Review を参考にしてみる。Muppudathi(2014)はスローラーナーの定義を平均の学習者よりも必要なが苦術スキルが例外的に低い学習者としているようである。また、Borah(2013)は平均的な認知能力よりも低い学習者のことを指すとしていたり、Billy(2016)やその他の定義をみると大方、抽象的概念を言語化して受容、発信することが苦手が学習者のことを指していたりするようである。

 

 発達障がいとは別カテゴリということなのだろうかと思いつつそのほかの文献も併せて読み進めている。結果的にドルネイやマズローといった教育心理学の内容、学習を妨げる各フィルター仮説や脳科学における言語処理のシステムといったあたりをまた復習している。まあ、面白いからいいのだが。。。

 

 そして、今日のタイトル回収だが、結論から言えば教育職においてビルドゥング(教養)の範囲内で医学の知識は必要になってくるということだ。私自身も児童生徒の認知発達、学級経営や言語教授法を理論化して他者に伝える際の基礎知識として、生理学や精神医学の知識は必要であると感じ学んでいる。実際、教職免許法の改訂で2019年度以降の教職過程履修者は特別支援教育の概論が必修になったと記憶している。これは教職課程における必要な医学の知識の延長線上であると解釈することも可能だろう。ただ、もちろんカリキュラム上で用意されているから学生全員が教育の医学的な側面に関心を持つとは限らない。そして診断を下すのはあくまでドクターの仕事である。従って、不用意に医学的知識を振りかざしてもいけない。

 

 しかし、そういった知識を知っていると知らないとでは実際に目の前に支援すべき児童生徒、学生や他者がいた時の行動及び対応に雲泥の差があるように思えてならないのだ。

 

最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。